祇園“恋し”・・

ふくすけです。。。ブログ更新、すっかり久しぶりになってしまいました。
ここのところ、本業のほうでちょっと帰宅が遅くなったり、発表があったりと手がいっぱいで、ピアノも触れませんでした(ちょっと夏ばて気味・・)というわけで、今日はピアノとは離れてワタシの 夏の“とっておき”についてご紹介しましょう。。

 今の本業は “実験”です。といっても、とある研究室でお世話になっています。
これまで勤めていたところとは全く新しい分野のことをさせて頂くことになり(というか、研究室の方々にはまるっきり青天の霹靂の、お騒がせの押しかけ入門でした;;スミマセン・・)本当にお世話になっています。。。これまでの職場では少々”薹(とう)が立つ”ような中堅どころの立場からここではゼロからの出発で、しかも”他人の釜の飯“で修業、ということでホントウに得がたい経験をさせていただいてます。。(m(- -)m) 全く、”他人の釜の飯“ほど、自分自身も違った観点から見つめ直すことができて、ありがたいことはありません。

というわけで、押しかけ修業をさせて頂いているのは 京都、でございます。盆地である京都の夏は 全くサウナ状態で、毎日うだっているわけですが、こんな夏になるととかく恋しくなるのが かき氷です。いろんなかき氷を食べてきましたが、一押しは祇園の石段下近くの、”祇園小石(こいし)”さんの氷です。

e0020110_1292629.jpg←何の変哲もない、黒糖ミルク氷のようですが・・・
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       中には餡みつが入ってます^^↑

e0020110_1294895.jpg      舞妓はんのお稽古がえり、甘夏味~→

ここの氷の特筆は、なんといっても、“粉雪”状であること!!口の中でふんわりさらさらとやわらかく溶けていくさまは、まさに夏ならではの贅沢です・・。ワタシは並ばないでいい時間帯を見計らって、ほとんど“ゲリラ”的に食べに行ってます^^。(お店の方によると、平日の午前中か、13:30くらいまでが割とすいている、らしい・・)オススメはスダチのはいった“舞妓はんのお稽古がえり”と、かき氷のなかに中に餡みつがはいった“わがまま氷”です。お店のHPもあります。京都にお越しの際は是非、おためしやす。

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# by curzon-schubert | 2005-08-04 01:43 | about myself

ヒミツ”兵器”?!

今 グリーグの“ホルベアの時代から”を練習しています。

 この曲は 管弦楽で聴いて、惹かれて練習し始めました。5つの小品からなり、表情も豊かで、弾いても聴いても楽しめる曲です。しかしながら・・・。しょっぱなの前奏曲の、右手、これが分散和音になっているのですが(グリーグは ピアノ版では、管弦楽のときより速度を早く指定している)どうも粒がそろわないのです。ブランクが長かった哀しさなのですが、前腕や上腕の筋肉は結構保たれているものの、指そのものの筋肉はかなり落ちていて、右手でも4の指(薬指)が弱いんです。。それも 鍵盤の位置によってマシに聴こえるときや、まるっきりギクシャクするときもあります。キレイに弾かないと“ガチャガチャ”して聴こえてしまいます。。ピアノ専攻の友人にずばっと指摘され、それ以降メトロノームをかけて、ゆっくり弾いたり、少し速く弾いたり、はたまた両手とも同じ分散和音を弾いたり、などなどバリエーションを変えつつ楽しんでいます。。e0020110_1101753.jpg

 以前より、“フィンガーウェィツ”(指にはめる指輪状のシリコン+錘)に興味をもっていたのですが、新製品に切り替え中とのことで入手できませんでした。。先日楽譜屋さんに寄ったところ、エレガントに見えた旧製品とはうって変わった、どエラく無骨な黒い装具!!が入荷していました。各指に、弾丸状!の錘(1個10g)を3個まで装填!?できます。一瞬絶句したのですが・・。いかにも訓練具、って感じで殺風景だし、コドモなら泣き出すんでは?と思いましたが、ものは考えようで、ヘビメタ・パンク系なら 全然イケてるかもしれません^^;;。。。それに旧製品より錘も倍の重さにパワーアップしてるし。。。悩んだ末、購入しました。。アマチュアの泣き所ですが練習時間も充分に取れるわけではなく、“邪道~?”と思われる向きもあるかもしれませんが、モノはためし、これもつけたりして、練習しています。
 しかしながら、ローマは一日にして成らず、筋肉も一日にして成らず、です。過度の負荷を長時間つづけることは百害あって一利もありませんし、また、筋肉だけついても、緊張と弛緩のコントロール、といったバランスまで解決できるわけではありません。ワタシのような中級段階のアマチュアにとっては、あせらず、日々ヒマを見つけて練習を心がけるのみです。

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# by curzon-schubert | 2005-07-28 01:06 | 練習

カーゾンの楽譜

 CDの演奏を聴いているとピアニストには、聴き手の空気を感じとりながら演奏しているように思われるピアニストと、一方、自分自身や作曲者と対峙しながら演奏する内省的なピアニストがいると感じることがあります。聴衆にとっては、内省的なピアニストであっても演奏に共感すれば距離は縮まって一体になることができます。

 最近読んだ本ですが、心で弾くピアノ~音楽による自己表現~(音楽之友社刊) 作曲家、ピアニスト、教育者でもあるセイモア・バーンスタインの著作の訳本で、ピアノについての学習法、演奏法、心構えにいたるまで書かれています。佐藤寛・大津洋子両氏による訳文がすばらしく、翻訳調ではなく、こなれた日本語に訳されています。ひとつ特筆すべきことは、著者は、アマチュアピアニストも多くお弟子さんに持っておられるようで、読者としてはプロのピアニストを目指す人だけではなくアマチュアの演奏家も対象にいれて実例も取り混ぜながら書かれていることです。ワタシのように専門的な学習が全く抜けてしまって再開したようなニンゲンには 本当に一つ一つのアドバイスが“ほ~”という感じで新鮮です(専門的な勉強をされた方に当然のことばかりかもしれませんが)。さらにワタシにとって嬉しかったのは、カーゾンにも師事されていたので、サー・クリフォード・カーゾンについてのエピソードがちょこちょこと出てくることでした。

 e0020110_19335285.jpgカーゾンは 冒頭の2タイプのピアニストでは、典型的な後者のタイプだと思います。
カーゾンは 弟子に “作曲家を愛することは 重大な責任を負うことであり、演奏を通してこの愛情を他の人に返すには、熱心に練習するしかない” この言葉をうけて、セイモア・バーンスタインも “アマチュアでも、プロであっても、曲を演奏会で弾くレベルに達するまでの、時間のかかり方は個々の演奏の質に何も関係がなく、最も重要なのは、出来るだけ責任を持って音楽に使えるために 練習を必要なだけ一所懸命することである” と書いています。この本には、カーゾンが使用した、ベートーベンのピアノ協奏曲第4番のスコアの写真も載せられていますが、それは書き込みで埋められています。
 この楽譜をみて思い出したのは、カーゾンに師事したピアニストであるクレイグ・シェパードが、自分のHPで師についての思い出を述べたエピソードでした。 カーゾンは強迫観念にとりつかれたかのように細かいところまで譜読みするのに大半の時間を使ったと書き、あるレッスンでは ずっと、シューベルトの即興曲の最初の8小節の1つ1つの音符のコードの関係を分析していたので 30分たったところで “先に進んでくださいませんか?” と懇願した、というエピソードです。ちょっと笑ってしまいますが^^、いかにもカーゾンの音楽に対する真摯な姿勢をよく表しています。カーゾンは、録音はDECCAやBBCの音源にいくつも残していますが、まだ 映像にはお目にかかったことがありません。。。7月末にはピアノ五重奏曲のDVDが発売されるようで、楽しみにしています。

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# by curzon-schubert | 2005-07-24 19:29 | 音楽つれづれ

楽な姿勢で

最近ピアノ奏法に関する本をいくつか読みました。
1つは故・井上直幸先生の書かれた”ピアノ奏法”(春秋社刊)、井上先生は、70年代後半に教育テレビの”ピアノのおけいこ”の講師として出演しておられ(とはいえ、このころの記憶は定かではありませんが・・・)ワタシたちの世代には懐かしいです。この本は春秋社の編集者の方との対話形式で平易な文章でまとめられています。
譜読みによる曲想の解釈、楽譜の選び方、ペダルの使い方などいろいろな勘所がつづられており、非常に実践的で興味深く読みました。
そこで、読み進むうちに・・ “あ~” と思い出したのが、上半身の重みや、全身の重みをつかって打鍵する、という記載です。イスから少しカラダを浮かせて、全身の重みをかけて打鍵し、フォルテッシモを表現する、これによって厚みのある音が出る、ということです。ワタシが子供の頃ついていた先生も、この井上先生と同じスタイルで、カラダ全体で音の強さを表現するような感じでした。子供のころはワタシも、ベートーベンとか弾くときに先生を真似てこんな感じで弾いていたような気もしますが、“井上先生の本来の意図”からは離れてワタシの場合、“スポーツ入ってル?” 感じで、腕っ節ばかり太くなっていったような気がします。コドモ心に、完全に鍵盤は叩くと誤解してしまい、レガート奏法とは両立できませんでした(それに気づいたのも今ですが・・)。
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 次は、田村安佐子先生の書かれた“ピアニストへの基礎”(筑摩書房刊)です。田村先生はパリに留学され、コルトーの“秘蔵弟子”であったマグダ・タリアフェッロ女史の晩年に指導をうけられました。この本には,すばらしい教育者でもあったタリアフェッロ女史のメソッドについて書かれています。タリアフェッロ女史のメソッドでは背筋は伸ばして、自由に動かすのは腕と手のみです。また腕の力をぬき、関節をしなやかにするのが自由な表現のためには重要であり、ピアノに座る前の全身の柔軟体操の方法もこの本には書かれています。余分なエネルギーは使わないために、タリアフェロ女史は90歳近くになってもリサイタルをこなし、また彼女のお弟子さんも日に2ステージをこなしても疲れなかったといいます。実は今、ワタシがご指導頂いている先生もタリアフェロ女史のスタイルに近いのです。まだ、レッスンを受けさせていただくようになって2回しか経ちませんが、初めてのレッスンのあとで、つくづく感じたのは “ピアノを弾くって、こんなに楽なことだったのだ~” ということでした。それまでピアノを弾くと どっと消耗していました。きっと余分なエネルギーを体に使いすぎていたのだと気づいたのです。おまけにワタシは2回の交通事故によるムチ打ちで、頚椎と腰椎がゆがんでいますので余計に負担になっていたのでしょう。
ピアノをライフワーク、と考えるからには 各々が自分のカラダと相談して無理のない姿勢で弾くことが、長く演奏生活を続けていくのに大事だと思います。


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# by curzon-schubert | 2005-07-21 23:12 | 練習

弾く とは 聴く なり

昨日は仲間内の発表会がありました。

会場は ピアノのショウルームのなかのサロンの一室です。
縦長の25畳の音楽室に、225cmと214cmのグランドが2台並列に置かれており、
少し離して、聴き手の席(折りたたみイス)が30席ほど4列に分けて置かれています。
これで、一杯です。ソロのピアノの場合は蓋をほぼ全開で、手前のほうの214cmのピアノで弾きますから、客席との距離は更に近くなります。。

 ワタシはマンション住まいで、普段サイレントユニット(サンプリングした音)付きアップライトピアノで、ヘッドホンを付けて弾いています。結構、練習したつもりだったのですが。。。2日前に丁度同じショウルームの別の部屋で コンサートピアニストで教育者でもある、敬愛する先生の月1回の個人レッスンがありました。先生のメソッドは 何よりも”響き”を大事にされます。
ピアノは”弾く”ものではなくて、”聴く”ものであり、鍵盤においた指は瞬間に腕からチカラを抜きます。そうしないと鍵盤からハンマーを通して弦につたわった振動が 緊張した指で止まってしまうから・・・。すなわち、ピアノと 演奏者の体は一体となって、さらにその空間も一体となって 響きが立ち上っていく、それを演奏者も”なんて、キレイな響きなんだろう・・・”と聴く・・。それを常に頭に置いて、響きをつくるのです。確か、1ケ月前に教えていただいて少しはわかった気になったはず(??)だったのに、消音ユニットの音(サンプリングの音)に慣れてしまったこの1ケ月で、またホンマモンのピアノの ”鍵盤にふれる”→”響きが出る” の呼応関係が自分の中で、全く狂ってしまっていました。 耳が”音”に慣れ、”空間に立ち上る音が聴き取れる”の状態にもどるのに最初の20分ほどはかかりました。響きに”音酔い”してしまったのと、ヘッドホンで弾く限界を感じ空しくなったのとで、意気消沈してその日は帰宅しました。e0020110_11374457.jpg

 結局 発表会当日には同じサロンの空いていた部屋をお借りして”朝練!”して、午後からの本番に臨みました。緊張して、ペダルのコントロールが甘く濁ってしまった部分もあり、自分では70点の出来でしたが、とりあえず、”耳がアコースティックなピアノの響きに慣れた”状態で ある程度の響きを意識しながら演奏できた分、なんとか”自分的”に60点はクリアしたかなと思いました(朝練、しといてよかった!)

 その会は、皆さんピアノが大好きで、曲目もかなり難曲がならんでおり(ワタシは除いて^^)全部聴かせて頂くだけでも充分勉強になりました。自分にとっては”人前で弾く”のと”空間での音の響きに慣れる”だけで今回は精一杯だったのですが、他の方の演奏を聴いていると、”響き”、”音楽の流れ”、”ペダルの使い方(曲想と合うか、音は濁らないか)”、”指に恣意的なチカラが加わりすぎていることで響きが停まっていないか、心地よい響きになっているか否か”等々、気づかされることは多かったです。実際、奏者に聴こえている”音”と、蓋の開いた方向から聴いている”聴衆へ届く音”とはまた違うんですね。。このような狭い空間ですと、心地よい音か否かは実に正直に現れてきます。

住宅事情、その他でやむないことは多いのですが、ピアノを弾く上で”空間”+”響き”は切り離せないものだと実感しました。今後も出来るだけ、スタジオとかでの練習もいれて、”なまおと”を聴くようにしないといけません。。。先生のいわれる、”立ち上る響きを、聴衆と一緒に なんて素敵な響きなんだろう”と聴きながら演奏する、これが大きな道しるべとなることを実感させられました。

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# by curzon-schubert | 2005-07-18 11:48 | 演奏会

風化するメロディー

ひょんなことから軍歌を耳にする機会がありました。

 軍歌というと、とかく戦意を鼓舞する、というプロパガンダを思い浮かべ
拒否感を示す方も多いと思います。
 ワタシが耳にして強く印象付けられたのは、”加藤隼戦闘隊”と、高木東六先生作曲の”空の神兵”でした。(いずれも著作権のある楽曲ですので ここで歌詞の詳細を載せることは控えさせていただきますが) ”加藤隼戦闘隊”の方は、行進曲風の旋律ではじまりますが、4番で短調にかわり、友の死を悼む歌詞とあいまって、なんともやるせない気持にさせられます。
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 ”空の神兵”のほうは、イントロからなんとも美しい曲でさすが高木東六先生、 これが軍歌?と思わせますが、歌詞は落下傘部隊が舞い下る空を”敵の空”と表現しています。まだ幼顔の残る若者たちが落下傘をつけて花のように舞っていく青空は 敵の陣中だ、というのです。美しいメロディーに、こんな哀しい歌詞、、、これは戦時中(昭和17年4月に発表されたようです)、どんな気持でうたわれたのでしょうか・・・。戦意を高揚させるどころか、あまりにも戦争の理不尽さを映し出していて、反戦歌かとも思えるような歌、と驚きました。

 写真は白黒よりも、カラーの方が同じ戦時・戦前の風景でも今に身近に感じられるといいます。確かにテレビで、戦前のカラーフィルムの映像をみて 驚いたことがあります。
そして、その時代をうつす鏡でもある、歌は、写真よりもさらに、その時代に生きた人々の感情を伝えてくれるように思います。残念ながらワタシの父も”空の神兵”は”きれいな曲だ”と知ってはおりましたが、もうその当時に徴用され、この歌を歌ったであろう年代よりかは若いのです。
 ワタシは軍歌は特に精通しているわけではありませんが、高木東六先生のこの歌にこめた思い、また、ほかの軍歌をつくり、歌ったであろう多くの人々の思いは もう風化していくしかないのだろうか、と思います。。 確かに、音楽の授業で教えてみんなが歌うのには 疑問をもたれる向きもあると思いますが、戦争の非情さを静かに訴えるこのメロディーは、なんとかこれからの世代にも伝えてゆけないものか、と考えています。


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# by curzon-schubert | 2005-07-15 00:42 | 音楽つれづれ

音をつくる

この3月からバイオリンを始めました。
コンサートとかで弦楽器の演奏を聴いているうちに自分でも、せめて演奏のイロハだけでもわかるようになりたいと思ったからです。しかしながら、3ケ月で辞めるはずが、ますますハマってしまっています。

腕前の方は やっと楽器を構えて 弓を引き音がだせるようになったかな、という程度。
”メリーさんのヒツジ(チャルメラバージョン)”といった感じで、まだまだ人さまに聴かせられるような段階ではありません。。。そのため、練習場所も練習時間も大変です^^。。。

どうしてハマってしまったのか・・・・。それにはいくつもの理由があります。
ひとつには、バイオリンという楽器をもつときの姿勢、チカラの抜き方、腕の動かし方など、すべてこれまでピアノしか知らなかった、”凝り固まった”カラダに、違った筋肉の使い方を教えてくれるから。 また、鍵盤を押さえれば正しい音階で音が鳴り、曲を弾いた気にさせてくれる(?)ピアノとは異なり、自分で音階を確認して音色をつくらねばならない”簡単に音が鳴ってくれない”バイオリン、というのは実に魅力的です。。そしてこの、”イチから音をつくる”という経験は、ピアノにおいても”どういう音で”弾きたいか、ということを考える大きなモチベーションとなってくれています。e0020110_0164071.jpg


それから、当分弦楽奏者としての参加はむりでしょうが、将来室内楽のアンサンブルもしたいと思ってますので少しでも弾き方がわかるということは 楽しみや興味を深めるのではという期待、そして10-20年もすれば弦楽のアンサンブルも参加できるかも。。。。といった、”老後”へのヨミもあります^^。
ワタシの好きなTV番組にNHKの”百歳バンザイ”という番組があり、毎週お見事に人生を謳歌される百歳の方々が登場されます。そのなかに
”70歳から始めた趣味ももう、30年になり、近頃では 近所の人たちに〇〇教室を開いて教えている△△さんです・・” というくだりがよくでてくるのです-----なんと、自分の時間感覚の貧困なことであったか・・。大事なのは”早くから始める”ことではなくて、”何事も継続なり”ということですね。 今から始めればワタシだって 百歳になるころにはバイオリン歴60数年になれますしね!

バイオリンは始めて1年間は音らしい音がでないよ、と廻りから言われますが、まずは最初の関門はその1年、なんとかめげずに続けていきたいです。

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# by curzon-schubert | 2005-07-12 00:25 | 練習

ショパンが日本人になった?

 コドモのころ、最初に弾いた(弾かされた?)ショパンはご多分にもれず、ワルツでした。。
”何が楽しくてこんな音楽弾かなあかんのん?” (失礼・・・)
と、当時は思っていました。 ショパンのワルツよりもシューマンやチャイコフスキー、ドビュッシーの方がコドモ心にとっても、魅力的だったのです。
 結局、ショパンは嫌々やり バラード、エチュード、ポロネーズいずれも中途半端で終わり、”嫌い”意識が抜けませんでした。(但しポロネーズは、FMで聴いた エミール・ギレリスの英雄ポロネーズに惚れ込んでしまい、それだけは 頑張って練習したのです^^、) ことワルツに関しては、ヨハンシュトラウスのようなうきうきするようなワルツとも違って、ショパンのものは日本人の感覚からかけ離れた、”サロンの音楽”、という感じで 全く興味がそそられなかったのです。 
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 それが 最近1枚のCDに出会い、ショパンの音楽の表現の巾の広さを感じるようになりました。ーーーーそのCDとは、遠藤郁子さんの”序破急”(VICC-168)です。
 遠藤郁子さんは北海道で育ち、東京芸大在学中1965年にショパンコンクールで、ポーランド評論家連盟から特別銀賞を受けられ、その後ポーランドに学ばれたあと帰国、演奏活動をされていましたが、1990年に乳癌を患われ、そのときの臨死体験、手術を経て、再び演奏活動に戻ってこられた方です。”臨死体験”ー魂が肉体から離れて違った時空?に遊離し、またもとの肉体に戻る、ということでしょうか。。遊離したときに 人によって、過去をみたり、未来をみたり、また 神々しいヒカリに包まれたり、といろいろなことを体験するらしいのですが、それを経て戻ってきたときに ニンゲンは考え方が変わるようです。彼女はそれから、本場仕込みの弾き方、ではなくて、自分自身の魂からの音色でショパンを弾くようになったといいます。。(術後は和服でステージに立たれるようになった) このCDを聴いていると、ショパンが自国ポーランドの民の哀しみを歌うのと同じく、遠藤さんの魂から語りかけるような響きに胸が打たれます。 (ワタシは特に、ノクターン第13番OP.48-1 では、背後に哀しい哀しい軍歌が聴こえてくるような錯覚に駆られます。(←ここで述べる”軍歌”、については又の機会に・・・))
  ショパンは 弾く人によって、こんなにいろいろな色を持つのですね。 十人十色ならぬ、十ショパン。。^^。 遠藤さんのショパンを聴いていると、この瞬間は まさにショパンが日本人になった?、という感じがするのです。

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# by curzon-schubert | 2005-07-09 02:29 | CD/LP

アマチュアとプロの間には・・・

3年前に思い立って 一旦仕事の前線から引きました。
時間的にかなり追われていましたので(単なる自己満足の域を越えない、”燃え尽き症候群”で空回りしていたのかもしれませんが・・)、自分自身を見つめてみる時間が欲しかったのもあります。

 時間に自由ができて まずやったことは、コンサートに行くことでした。
最初のうちは”今しか行けないから”とかなり頻度的にも、(お値段的にも)張り込んでいたように思います。 確かに 客席と演奏者が一体となり、体中が音で包まれて、至福の時を過ごし、この場に居合わせられた幸運を神に感謝して、終了後もその場を去りがたいような幸せな演奏会も多々体験いたしました。 でも、数をこなしていくうちに あくまで聴く側の主観ですが、必ずしも 客席と演奏者の間が縮まらないどうもしっくりこないようなコンサートも当るようになりました。

  そんなとき、アマチュアの方の演奏を聴いて 眼からウロコが落ちるくらいの感動を味わったのです。 そのアマチュアのピアニストの方(本業は全く別ですが、さすがに小さいころから本格的な音楽教育を受けておられたようです)が弾かれたシューベルトのソナタは、ワタシにとっては全く ”カーゾンさま”に匹敵するような、心に響く音色でした。その音色とメロディーが耳から離れず、同じソナタの録音(カーゾンのものはなく、他のピアニストの録音)を買いましたが、どれもしっくりこなくて 次々と買い4種類になってしまいました・・・。
逆にいえば、ヴィルトオーゾだからといって、聴き手の心との波長がぴったりくるか、というわけでもないのです。

  そのとき、聴き手の心にいかに響く演奏ができるかというのは 音楽を愛するものであれば、アマもプロもまさに同じ土俵に立っているのだ、と思ったのです。
 ”コンサートといえば、プロの演奏家を聴かないと時間がもったいない”、とか”自分は巧く弾けないから 聴く専門”なんて思ってた自分の心の狭さが恥ずかしくなりました。そして、アマチュアだからと、”奏でる”ことを諦めてしまう必要はないのだ、と思ったのです。
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# by curzon-schubert | 2005-07-07 23:58 | 音楽つれづれ

音楽を”趣味”にできる贅沢・・

ふくすけです。アマチュアの音楽愛好家です。
 2歳くらいのコドモのころから ピアノの写真をみて異様に興奮する習癖がありました^^。
3歳におもちゃのピアノを買ってもらい嬉しくって弾きまくってました。。。
6歳から”本当の”ピアノを始めましたが高校受験で普通科進学を選択したあと、ピアノとは長いブランクがありました。社会人になって、ウン年、その間 ちょこちょこピアノは弾いたりもしましたが長続きしませんでした。
 人生の折り返しに当り 自分の原点を考えるとき、やはり音楽は切り離せない、と思い再びピアノに帰ってきた次第です。今後はブランクを作ってしまうと もう取り返せないーそういう思いで、思うようになかなか動いてくれない指ですが、コドモのころには弾けなかった音色で、これからの自分を表現できるような 自称、”アマチュアピアニスト”になりたいと思っています。(ちなみにバルトリちゃんや、ゲオルギューちゃんと同世代)
 
 高校からなぜ、ブランクができてしまったのか、は、高校(受験に疎かったため、進学校ならぬ、就職高で、しかも入学するまで知りませんでした)から、どうしても資格をとる進学をしたかったため 初めて予備校等々通い始め、時間的にピアノを弾く余裕がなくなってしまったからです。今でこそ、サイレントピアノも一般的ですが、実に、ブランクの有無は、防音設備のある環境に左右されると思います。
 大学時代は バイトに、そして社会人になれば仕事に明け暮れました。。。。
そのころには、 全くピアノは ”コドモのころにやってました”という程度に消え去っていました。
社会人になって数年したころ、”何か足りない”自分を感じて 中古のアップライト+消音ユニットを購入しました。なかなか弾けるだけの余裕はありませんでしたが(いつでも弾ける、という安定剤にはなりました^^)、ここ4年間、期限付きプチリタイアをしておりまして、宙ぶらりんになった自分を見つめたときに もう一度弾いてみる気になりました。

 音楽科に行くのをやめたとき、そして普通科ででも課外の勉強に時間を割かなければならなかったとき(放課後に他の予備校に通って、ピアノも弾けないくらいなら 昼間はせめて音楽科にいって好きな勉強をしててもよかったのに。。と思ってました、甘いかな。。)は かなり後悔はありました、、しかしながら 今の自分を振り返ると とりあえず”手に職をつけた”今の選択も悪くはなかったのかも、と思います。どんな選択になろうと 今を楽しむ、そのような余裕が持てれば人生悪くはありません。。 ”音楽”が生活の糧であるならば、自分には逆に他の趣味も必要であったかも知れませんが、今は ”音楽”を趣味、として楽しめることに 最高の贅沢を感じています。
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# by curzon-schubert | 2005-07-06 23:25 | about myself